2008.8.1

 
 
科学の前線散策
 
 
20.猛毒の硫化水素を薬に?

菅 原  努


 

 

 このところ硫化水素を発生させて自殺し、それが周辺にもれて中毒を起こしたという報道が後を絶ちません。我が国ではその猛毒ぶりについてはよく報道されていますが、このいやな毒物を少量つかうことで薬に出来ないかという研究を 20 年余にわたって続けている研究者達がいるのです。アメリカでは、それを肝臓や肺の血流障害を含む難病の治療に使うべくある会社が昨年からテストをはじめたと 4 月に報道されて注目されています。

 実際、極めて微量でヒトに投与しても何ら危険な副作用のない投与量で、血流や代謝を下げる働きが動物実験で示されています。小動物では、冬眠様の状態を起こすことが出来ます。勿論それが大動物からヒトに応用できるかは議論の絶えないところですが、ひどい外傷や脳卒中などのときに、生存率を上げうるかも知れない、などと議論されています。例えばげっ歯類に対しては安全な 80ppm をマウスに投与すると、動物は意識を失います。体温は 20 ℃まで下がり、酸素消費も低下する。そこでこのガスを止めて暖めてやると、動物は 1 時間以内に起き上がり、その後の一連の脳機能検査で障害は見出せません。しかし、これに対して大動物では害作用こそあれ有益な効果はないという否定的な意見もあります。

 分子機構としては、20 年前のアメリカにおける日本人の研究があるのです。この物質が動物とヒトの脳に意外に高濃度に存在することが見つかりました。当時カリフォルニアのソーク研究所に居た神経化学者のHideo Kimura とポスドクのKazuo Abe は硫化水素が神経の末端のシナップスの活性をたかめることを見出したのです。現在東京の神経科学研究所にいる木村は、硫化水素は神経調節物質として働くのだと言っています。

 この他、硫化水素は血管壁の平滑筋を弛緩させるので、血圧調節に関与している可能性もあります。また炎症に対しては促進、抑制について議論が続いています。また線虫での話ですが、このガスで寿命が 70 %も延びたという報告まであります。

 昔から、毒になるのも、薬になるのも,量次第と言いますが、硫化水素にまでそんな話があるとは驚きです。

 

Nothing Rotten About Hydrogen Sulfide's Medical Promise by Mitch Leslie
Science 320:1155-1157, 30 May 2008.